埼玉県 熊谷市 の糖尿病専門クリニック/診療内容、土曜日診療、外来インスリン導入、各種検査などのご案内
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クリニックの歴史

<クリニックの歴史>

 当院の歴史は江戸時代から安土・桃山時代まで遡り、先祖は豊臣家に仕えた医家であったとされています。大阪城落城とともに現在の熊谷市三尻周辺に逃げ延びてきたとの話ですが、菩提寺消失等もあり書物に残された事項以外は不詳となってしまいました。

「安蔵=曾祖父(18代)明治初期に大里郡三ヶ尻村(現熊谷市新堀新田)で開業していた『石丸春庵(17代)』の弟子で『かう(石丸貞鬆」の三女ひでの長女)』」と結婚」によって、大里郡玉井村(現在の熊谷市玉井)に礎が築かれました。

 大正時代から昭和にかけては「博次=祖父(19代)」が千葉大学医学部卒後、研修を経て「は奈(安蔵とかうの長女)」と結婚し、石丸医院を継承しました。当時第一次ベビーブームの最中多くの出産に携わり、外科・内科・小児科領域でも地域医療に尽力しました。

 昭和34年、その長男「安世=父(20代)」は博次の事故による急逝のため医院継承し、同41年弟「達也=叔父」とともに現在の地に石丸病院を創立しました。
安世は東京大学第三内科卒後、派遣病院での研修を経て地元で開業、病院長として内科・小児科の一般診療の傍ら、増え続ける糖尿病の新しい診療を常に追求し続けました。
達也は昭和大学・東京大学大学院(産婦人科)卒後、同じく研修を経て副院長として地元に戻り、第二次ベビーブームの前後で数多くの新しい命の誕生を見守ってきました。
当時は外科・婦人科病院が少なかったこともあり、東京大学附属病院第一外科・麻酔科などから医師を招聘し、多くの外科・婦人科手術も施行されました。

 安世は東京大学小坂樹徳先生・葛谷信貞先生の御指導の下、昭和45年に指導医として「けやき会」という埼玉県で初めての患者会を発足し、日本糖尿病協会埼玉県支部として様々な地域および全国の活動に参加してきました。学会・研究会活動による研鑽も怠らず、日本糖尿病学会専門医として学会発足当時からの功績が認められ、日本を代表する著名な先生方とともに同学会50周年記念式典にて表彰を受けました。

 「安明(21代)」は平成元年に獨協医科大学卒後、埼玉医科大学大学院(内分泌・代謝学:糖尿病学専攻)での研修を経て同7年より『石丸病院』に入職、糖尿病の臨床及び研究を続け同18年より院長に就任しました。
 この間、石井 淳先生をはじめ河津捷二先生(朝日生命成人病研究所長)、片山茂裕先生(埼玉医科大学病院長)、根岸清彦先生(根岸内科代謝クリニック院長)、柳澤守文先生(さつきクリニック院長)など多くの先生方に御指導賜りました。また北濱眞司、野口雄一、富樫厚仁、山中佳代、今井富彦、安田重光、磯山 藍各先生など多くの先生方に多大なる御助力を賜りました。

 平成19年11月、さらに糖尿病診療に専念し、より特化した糖尿病専門医療機関を創りたいという強い思いの下「石丸安世記念 熊谷ディアベテスクリニック」と改称、副院長に今井富彦先生を迎え再編成して新築移転致しました。

 平成22年11月、齊藤智之先生が副院長に就任し、より多くの方をお迎えするため予約や診療の方法を変更をし現在に至ります。
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