寄居・市立てのはなし
寄居は寛永8年(1631年)に4・9の日に市立てが許されました。広い平野部と秩父地方を結ぶ交通の要衝であったことから大変なにぎわいを見せました。主要道としては秩父往還、中山道脇往還、寄居・深谷道、寄居・小川道があり、江戸の発展とともに材木や薪炭の需要が増大し、荒川の舟運も盛んになりました。渡船場も殿蔵の渡しなど6箇所の存在が伝えられています。

■寄居村絵図
「武蔵国榛沢郡藤田郷寄居町市場割定之帳(いちばわりさだめのちょう)」によると、寄居の町は東西の町通りを上・中・下町に三区分し、さらに南北両側に市場割が行われ、そこに21業種とそれを扱う90人が記されています。「薪宿、炭宿、まゆ、塩、果物・・・」など取り扱い商品は多種に及んでいました。

■「平賀」名入りの風呂敷
かつての荒川は水量も多く、秩父方面の木材の搬出にいかだ流しが行われていました。こうした中、エレキテルで有名な江戸時代の博物学者である平賀源内によって、秩父で産出される鉱物資源や木炭の搬出を目的とした船運が本格的に始められました。当時s,通船の問屋を営んだとされる家では、今でも関連する古文書や資料が残されています。

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資料提供協力:寄居町
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