支部広報誌「桜の里」


税理士会熊谷支部ソフトボールチーム
主将 土屋 政信
入部当初
   「キャプテンの曽根(現在は監督)です。土屋さん、チームに入部して。」
   今から10数年前、税理士会の登録を終えて間もなく私の事務所に電話がかかってきた。 よく聞くとどうやら税理士会のソフトボールチームの勧誘。「自分は自宅が高崎で、ソフトボールや野球の 経験もないし仕事の都合で練習に参加できるかわからない。」とそれとなく無難な返事をして、とりあえず 1、2回顔を出すかと重い腰をあげて8月中旬の最初の練習に参加した。
   当時は曽根キャプテンを中心に8月から練習を始め、10月の税理士会の大会まで6〜7回の練習だった。部員 も7人程度しか練習に集まらない。キャプテンが人集めとグラウンドの予約でいつも苦労していた。グラウン ドも河川敷であまり整備されていないのでゴロがイレギュラーした。投手も含めて守備位置も確定していない。 しかもチームの軸になる投手(エース)不在。結果的に攻めのピッチングなど土台無理で、大会になるとスロー ボールのみを投げて打者の打ち損じを待つという受け身の試合。もっとも他の税理士会のチームも似たような 状態だから、大会当日の勝ち負けはほとんど時の運と偶然のようなものだった。
   「勝っても負けても時の運」そんな気持ちが次第に自分の胸に宿るようになる。

エース登場
   野球もソフトも投手次第で試合の流れが決まってしまう。だからプロ、アマ問わず多くのチームは軸になる投手を育てるか獲得するのに多くの時間と費用を費やす。「スピードボールで攻めの投球ができる軸になる投手が欲しい。」当時の熊谷チームにとって一番欲しい存在であった。ソフトボールで速球を投げるとなると現在はウィンドミル投法が主流である。実業団や一般のソフトボールチームの投手はすべてこの投法を採用している。だが熊谷チームにはソフトボールの投手経験者はいない。ゼロからこの投法をマスターするとなると年回7回程度の練習では誰が考えても無理。年間を通じて投球練習する必要がある。また、練習しても指導者がいないためマスターできるかどうかも未知数。こんな不安な状態を無責任に一人の選手に依存するわけにはいかない。「自分がやるしかない。」と必然的にそう思えた。それからというもの専門誌や投球ビデオを購入してウィンドミル投法を我流で学んだ。最初はボールがとんでもない方向に行くので多くのボールを紛失。また、1人で投球練習するには大きなコンクリートの壁がどうしても必要になる。当初はこの壁がなかなか見つからず、車で運転しながら高架下を見つけると投球ができるかどうか試してみたりもした。ゼロから始めた投球練習も2、3ヵ月経過すると次第にウィンドミル投法らしくなってくる。この頃、週に2、3日投球練習をしていたが、この投法は腕を大きく回すのですべての重心が足腰にかかるのがわかった。15分程度は問題なく投球できたが、それ以上投げると足腰の筋力が弱いためスピード、コントロール共に精彩を欠いた。通常1試合40分程度は投球する。さらに、税理士会の大会当日は3試合が予定されている。これではとても最後まで投げきることはできない。そこでランニングで足腰を鍛えることにした。また、長時間投球するには腕の振りに頼るのではなく、体全体の体重移動で投げ込むのが有効であることも体で覚えた。正に「習うよりも慣れよ」である。投球練習とランニング。この結果、1年後に熊谷チームの軸となるエースがようやく登場することになった。

投球ホーム








結果よりも大切なもの
   私が「攻めのピッチング」をすることで熊谷チームの練習と試合内容は以前とは違っていく。私は年間のほとんどを1人でトレーニング(現在はトライアスロンのトレーニングが中心)している。よってチームの全体練習は楽しみであり、また練習の成果を試す貴重な場でもある。私が練習を管理する主将になったこともあり、チームの練習は大幅に増加し6月から10月まで年間12回以上。夏の暑い日は体の負担を考慮してナイターを取り入れた。試合も熊谷市のソフトボール大会に出場したりもした。若い税理士先生も次第に入部してくれて部は活気づいてきた。入部した先生は開口一番に「こんなに真剣に練習しているとは思わなかった。」という。私が入部してから今までに税理士会大会で優勝4回。残念ながら敗退した年もあったが敗因は明確で、エース(私)の不調と練習不足である。現在の熊谷チームは勝ちも負けも時の運ではない。
   税理士会の大会は年1回。当然熊谷チームは毎年優勝に向けて練習をしている。中年のオヤジが必死になってボールを追いかける姿は傍から見たら滑稽かもしれない。加齢による体の衰えはいかんともしがたく、気持ちと体の動きは一致しない。それゆえ真剣に練習をして優勝した時は本当に嬉しい。数年前、ライバル朝霞チームに僅差で優勝した時が正にそれだ。振り返ってみると、「打倒朝霞」を掲げて練習した年はかなり厳しく練習したので、当時入部した新人にはきつかったと思う。それでも辞めずに現在では部の中心になって活動しているのは、部が「楽しい」からだと勝手に解釈している。勝敗の結果よりその結果を導き出すまでの過程(練習)が真剣だから面白くなるのである。また、練習後は毎回みんなで食事をする。お互い税理士ということもあり、仕事・事務所運営・プライベートなど気さくに話ができる貴重な時間だ。

ボールの行方
   選手は明確な意志を持ってボールを投げ、捕球しそして打つ。ボールに自分の意志を伝えコントロールするために練習をする。その結果として勝利が導かれるのだ。試合に負けた時は要するに練習不足でボールを思うようにコントロールできなかったからだ。ボールの行方はただの偶然ではない。
   私がキャプテンになって明確な意志を持って練習をしてきた。優勝した時はボールの行方はチームの意志で勝利へと引き寄せた。負けた時はチームの練習不足か相手のボールコントロールが勝りボールの行方はチームの意志とは反し、手元からこぼれていった。勝ちも負けも偶然やそのときの運ではない。勝敗が偶然やその時の運で決まるなら練習などする必要もない。時間の無駄である。
   私は現在45歳。あと数年ボールの行方を勝利へと引き寄せることができるだろう。だが5年後、10年後に熊谷チームはボールの行方をコントロールして勝利を引き寄せられるだろうか?それともただの偶然とそのときの運に身を任せることになっているだろうか?もしかすると一旦は諸々の都合で運に身を任せる状況になってしまうかもしれない。だが熊谷支部の多くの人が、明確な意志をもったファインプレーに感動しエールを送る限り、いつか再びボールの行方に意思を吹き込む者が不死鳥のごとく現れるだろう。


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