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大島あつし


大島あつしプロフィール

1956年(昭和31年)12月21日生まれ



 

プロフィール このページのTOPへ HOME

北本幼稚園、中丸小学校、北本中学校、京華高等学校、早稲田大学法学部卒業。日本鋼管(NKK)にて14年間勤務。3年半ドイツに駐在。その後、ソニー生命保険会社にて営業職を5年間勤める。

1999年、民主党衆議院候補者公募に合格。

2000年6月 80,342票を得て初当選
( 2000年政見放送1 2000年政見放送2 )

2003年11月 112,794票を得て二期目当選
( 2003年政見放送 )

2005年9月 123,159票を得て三期目当選
( 2005年政見放送 )

当選以来、説明責任を果たすために、毎月、国会報告を発行し、タウンミーティングを開催。また随時、駅頭にて街頭演説。


第171回国会
予算委員会委員
経済産業委員会理事
海賊・テロ特別委員会委員
内閣委員会委員
党次の内閣経済産業副大臣
党国会対策委員会副委員長

日本政治史に残る選挙 このページのTOPへ HOME


●今回の総選挙は日本政治史に残る選挙

20年前の1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊して、その4年後に成立した細川政権は実質的な政権交代につながりませんでした。政治の停滞が私たち日本人一人ひとりの能力を発揮する機会と経済の活力を奪ってしまいました。ベルリンの壁崩壊から20年経った今、やっと日本社会にダイナミズムを取り戻す機会が訪れたのです。

●政権交代の本質は政治主導の予算編成

国民に選ばれた政治はこれまで、官主導の予算編成システムに異議を唱えたことはなく、各省庁の予算配分のシェアはほとんど変わることがありませんでした。民主党が政権に就くと、首相直属の国家戦略局を設けて政治主導の予算編成を行い、マニフェストで約束した政策から優先的に予算を付けていきます。激しい抵抗が予想されますが、それを乗り越えて政治主導の予算編成が達成されたとき、日本の政治風土は抜本的に変わります。

● 大島あつしの課題と展望

すべての人がお互いに必要とされ、きずなを感じられる友愛の政治を志します。

日本経済の脱化石エネルギーを推進します。地球環境問題の解決につながるだけではなく、エネルギー資源を輸入(昨年は28兆円を輸入)する必要がなくなってきます。その分豊かさを維持し実感できるようになります。このことを実現するための技術革新には予算を惜しみません。また、人材こそ国の宝ですが、非正規労働では報連相(報告、連絡、相談)などチームで働ける能力が十分に身に付きません。求職者支援制度を導入して職業人として一生涯働ける能力を培います。

雇用と人材 雇用情勢は予断を許さず、失業率は8%に迫る恐れがあります。我が国にとって人材こそ成長の源泉です。職業訓練の受講を条件に月10万円の手当を補助する求職者支援制度を導入し、正社員として就職できる能力が身に付くようにします。

生命 我が国の自殺者が年間3万人を超えているにもかかわらず、政治はそのことに鈍感です。自ら命を絶つ方が多いということは政治の失敗にほかなりません。今後、失業率の上昇とともに自殺者が4万人に迫ることも予想されますので、すべて政策を動員して自殺者防止対策を進めます。

環境と経済 エネルギー価格が一段高くなって世界経済は新たなステージに移行しました。昨年のエネルギーの輸入額は28兆円。この巨額のコストを減らすためにも、太陽光発電、燃料電池、電気自動車、小水力発電、発電所の稼動率向上、住宅の断熱化などを進めて、化石エネルギーを輸入しないで済む国を目指します。

医療 後期高齢者医療制度の保険証の小さな文字を読むことのできる75歳以上の方は少ないと思います。対象者の立場から立案されることが大切です。75歳以上の高齢者を下の世代から切り離して設けられた同制度は廃止し、廃止に伴う国民健康保険の負担増は国が支援します。

年金 消えた年金問題の対策を国家プロジェクトとして位置づけ、2年間集中的に取り組みます。年金制度を例外なく一元化することですべての人にとって公平で分かりやすい制度に変え、「所得比例年金」と「最低保障年金」の2本立ての新制度を設けます。

商工業 ユーザーの立場に立って商品やサービスを開発するとともに投資家を粘り強く説得して事業を成就させる。そんな日本の営業力が弱くなっています。取ったリスクに報いるために中小企業の法人税は11%に引き下げ、特殊支配同族会社の役員給与の損金算入措置は廃止します。

農業 直売店への出荷や果樹の新品種開発などで張り切っている農家も多いのですが、さらに創意工夫を発揮できる農業にするために農商工連携を進めます。稲作については戸別補償制度の導入で休耕田化を防ぎ、今後、農地の利用集積を促すことにより生産性も向上させます。

道路 圏央道と上尾道路で関東が東西と南北に結ばれると、物や人、情報の往来が活発になって経済が底上げされます。17号国道の渋滞は埼玉県下でも特にひどい状態ですが、昭和40年代からの懸案である上尾道路の開通はその緩和に大きく寄与しますので、できるだけ早期の開通を目指します。

治水 地元河川流域ではゲリラ豪雨が頻繁に発生しており、洪水被害の恐れがこれまでにも増して高まっています。そこで、ゲリラ豪雨に対応する予報体制を整え、機敏にポンプ車を出動させるなど、国、県、市の連携体制も整備します。


マニフェスト このページのTOPへ HOME


■民主党マニフェストの要点解説

マニフェストの主要な項目についてその要点を解説します。我が党のマニフェストの実行においては以下の取り組みが大前提となっています。
・既存の政策、支出をすべて検証し、不要不急の事業は凍結あるいは廃止します。必要な事業は政策コストを徹底的に削減した上で確実に実施します。
・財務省主導の基本方針(概算要求基準)に基づくこれまでの予算編成プロセスを抜本的に見直し、政治主導で予算編成を行います。
・国の総予算207兆円を全面的に組み替え、社会保障、借金返済などを除いた70兆円を徹底的に効率化し、税金のムダ使いを根絶します。
・マニフェストに掲げた政策への配分を最優先にして予算を編成します。

【子ども手当】0才から中学卒業まで1人当たり月額2万6000円(年額31万2000円)の子ども手当を支給します。
現行の児童手当は年齢や出生順位により金額が異なり、その額もわずかです。しかし、次代の社会を担う子どもの育ちを社会全体で応援しなければなりません。経済的負担を軽減し、安心して子ども産み、育てられる社会を目指して、所得や出生順位を問わず、子ども手当を支給します。
 手当の金額は、食費、被服費、学費など子どもの育ちにかかる基礎的費用が月平均2万6000円程度という各種調査結果や、フランスやドイツ等の子ども手当の支給水準が平均2万円強である点を考慮しました。

【公立高校の無償化】高校の授業料を無償化します。
 すべての高校生の学ぶ権利を保障し教育格差を是正するのが目的です。具体的には、公立高校生には年額約12万円程度を支給することによって授業料を実質的に無償化し、私立高校生にも年額12万円(年収500万円以下の世帯は24万円)程度を支給します。

【年金制度改革】年金記録問題の被害者の補償を一刻も早く進め、年金記録問題の再発防止を図ります。また、年金制度を一元化し、月7万円の最低保障年金を実現します。
この政策の具体的なポイントは、消えた年金問題の対策を国家プロジェクトと位置づけて2年間集中的に取り組む、年金記録を訂正した人が正しい年金額を受け取れるまでの期間を短縮する、すべての加入者に年金手帳を交付していつでも自分の年金記録を確認できるようにする、年金制度を例外なく一元化することですべての人に公平で分かりやすい制度にする、「所得比例年金」と「最低保障年金」の2本立ての新制度とする、最低保障年金によってすべての人が7万円以上の年金を受け取れるようにする、などです。

【医療の再生】 安心の医療を実現するとともに、医療崩壊をくい止め、国民皆保険を守ります。
主な具体的政策は以下の通りです。自公政権による年間2200億円(5年間で1.1兆円)の社会保障費削減方針を撤回して医療を建て直すために十分な予算を確保します。医師養成を質量ともに拡充するため、当面、OECD諸国平均の人口あたり医師数(人口1000人当たり3人)を目指し、大学医学部定員を1.5倍に増やします。救急、産科、小児、外科、へき地の医師不足を解消するため、地域の医療機関の連携強化、短時間正規勤務制、国公立病院等の医師定数増員などによる現役医師の活用を進めます。後期高齢者医療制度は廃止します。被用者保険(組合健保、協会けんぽ、共済)と国民健康保険を段階的に統合し、将来は地域医療保険として医療保険制度の一元的運用を図ります。

【農業の戸別所得補償】戸別所得補償制度で食料自給率向上させ農山漁村を再生します。
自民党政権では農林漁業の団体に対して補助金を交付し、農業土木と称して効果が疑わしい公共事業を実施してきました。それに対し、民主党は農業等の所得を直接補償する「所得補償制度」を柱として「簡素・公平・継続性」を旨とした農林漁業政策へと抜本的に転換します。
具体的には、米・麦・大豆・てん菜・でん粉原料用ばれいしょ・雑穀・菜種・飼料作物などを計画的に生産する販売農業者に対して、生産費(全国平均)と販売価格(全国平均)との差額を基本とした補填を行います。交付金の交付に当たっては、品質、流通・加工への取り組み、経営規模の拡大、環境の保全に資する度合い、主食用の米に代わる農産物(米粉用、飼料用、バイオ燃料用の米を含む)の生産の要素を加味します。畜産・酪農、林業、漁業についても同様の所得補償制度を導入します。

【暫定税率の廃止】ガソリン税、軽油引取税などの暫定税率を廃止して、2.5兆円の減税を実施します。
暫定税率廃止による2.5兆円の減税を実施し、家計が自由に使えるお金を増やすことによって消費を活性化させます(1世帯当たりの減税額は約5万円:全国平均)。特に移動を自動車に依存することの多い地方では地域経済の活性化につながります。また、近い将来、電気自動車の普及が予想されますが、そうなると暫定税率の実効性は失われますので、暫定税率の廃止は時代を先取りした政策ともいえます。

【高速道路無料化】高速道路無料化で地域再生します。
首都高速、阪神高速を除く高速道路を原則無料化するということです。高速道路が無料化されれば、生活コストや企業活動コストが下がり、消費活動、経済活動が活性化します。物流コストも下がり、地域産品を大消生地に運びやすくなります。高速道路のサービスエリアやパーキングエリアの活用を含めた観光の活性化によって地域経済が活性化します。一般道の渋滞が解消され温暖化対策にもつながります。高速道路の料金収入によって返済してきた借金(高速道路を造るための借金)は国が承継するため、高速道路会社が料金を徴収する必要がなくなり、業務分野ごとに民間会社として再編されます。

【雇用政策】第2のセーフティーネットである「求職者支援制度」を創設します。
第2のセーフティーネットは雇用保険と生活保護との間をつなぐもので、求職者支援制度の創設により、失業給付が終了した人や自営業を廃業した人が職業能力訓練を受けた場合には日数に応じて能力開発手当が支給されます。手当の基本日額は5000円、20日訓練を受ければ月10万円が給付されます。


インタビュー記事 このページのTOPへ HOME


早稲田大学ジャーナリズム大学院ゼミ生が作成したインタビュー記事
記事へはこちらをクリックしてください


雇用対策は、私が政治を志したときからの主要課題です。これまで、「雇用基本法」をはじめ多くの法案作成に携わってきました。特に、雇用保険と生活保護の間の第二のセーフティーネットとして私が作成、提案した「求職者支援法案」は雇用危機に効果的に対処できる政策として関係者から高い評価を得、先の国会では与党の議連にも招かれて民主党案であるその内容を説明いたしました。今回の民主党マニフェストの雇用対策は私が立案したこの「求職者支援法」が基本となっています。将来に備えるために、政治主導の人材育成を進めます。

地方紙で取り上げられた私の発言です。

 -経済、雇用情勢についての現状認識は。
 「『百年に一度の危機』と言われているが、わたしは『有史以来の景気後退』だと思っている。強烈な信用収縮が止まらず、まったく底が見えない状況だ」

 -民主党など野党三党が衆院に提出した求職者支援法案の内容は。
 「雇用保険と生活保護の中間的な制度創設を提案した。失業給付が切れたり雇用保険から漏れている失業者、廃業を余儀なくされた自営業者が能力開発訓練を受けた場合に日額五千円-六千円を支給し、生活の安定を図る。対象は二十万人を考えており、訓練に伴う交通費も支給する」

 -制度の狙いは。
 「働く能力がありながら働く場がなかったり、失業給付が受けられないことを理由に生活保護を受けるのは社会全体にとってもメリットはない。雇用のセーフティーネットを充実させながら、労働者の職業能力を高めれば将来の雇用安定にもつながる。2001年と03年にもほぼ同じ内容の法案を提出したが、残念ながら否決された」

 -日本社会の問題はどこにあると考えるか。
 「以前はサラリーマンであればそれなりに貯金ができた。ところが最近は派遣社員など非正規労働者が増え、まじめに働いても貯金ができない給与体系になっている。一方で中小零細企業も内部留保はほとんどない。このため景気が悪化するとすぐに『社会の底が抜ける』状態になる。これまでの雇用対策ではなく、まったく新しい考え方で臨む必要がある」

 -制度に頼りすぎる労働者が出ないか。
 「五年後の見直し規定を置いた。この制度を使って五年間踏ん張ってもらい、政治はその間に環境エネルギーや農業、介護分野などの産業構造を転換し、新たな雇用創出を図るべきだ。ここでしっかり人材を育成すれば、日本は次の景気回復期に自然と世界トップになれる。逆に言えば、ここで努力しないと諸外国に後れを取る。国家の意志として人材育成策を取るべきだ」

 -野党が先行しているが、政府、与党も似た内容の制度を検討中だ。
 「与野党の壁を越えて議論し、いい制度をつくりたい」
(秋田さきがけ新聞2009年3月27日)



民主党は日本の温室効果ガスを2020年までに25%削減する目標を立てています。昨年の化石エネルギーの輸入金額は28兆円で国内総生産の5%を超えています。経済の非化石エネルギー化を進めることで、化石エネルギーに頼らない国をつくり世界の先頭を走りたいと考えます。

 ??景気低迷感が強まっている中、地域経済も芳しくない状況が続いています。
「今回の不況は特に深刻で、相当長引くなというのが実感です。地元の中小企業もやっと生き延びているという状態ですから、このまま受注が回復せず、エネルギーなどの資源価格が高くなると非常に苦しくなります」

 ??原油価格のパラダイムシフトが起きているというご指摘ですが。
「原油は1970年代のオイルショックから最近まで一定の価格帯に収まってきました。日本は安いエネルギーを前提に繁栄してきたわけですが、原油は今後、上昇基調に向かうと予想されますから、それにいち早く適応できた国と企業が生き残ることになるでしょう。
 そこで注目すべきなのがまず電気自動車。近い将来、1キロ走る単価がガソリンの100分の1の1円で済んでしまう性能も実現できるはずです。エンジンが不要なので、エンジン回りの部品を扱う中小企業、整備士業界、ガソリンスタンドおよび石油業界が大きな影響を受けます。このような電気自動車に対応した産業構造に転換しなければなりません。
 太陽光パネルも有望です。素材のシリコン部分は劣化せずに半永久的に発電できるので、それを利用して半永久的な太陽光パネルをつくれば良い。
いずれにせよ、世界経済の構造変化に適応し、国の経営資源を投入して石油への依存度を下げるための技術革新を行うことに成功すれば、日本はもう一度、世界の先頭に立てます。自ずと富はわが国に集まってくるでしょう」

 ??技術力や外資の活用で内需を振興することが国民の幸せになるとの説もあります。
「政治の目的は国民が生きていて良かったなと思えるような状況をつくることですが、わが国は外資頼み、輸出依存が強すぎます。外資を持ってくるとその投資以上の金が出ていくことになります。一方、ジャパンマネーを国内で使えば税金や配当という形で全額リターンが日本に入ってきます。ジャパンマネーを海外ではなく日本に投資するための工夫が問われているのです」
(住宅産業新聞2008年9月24日)


憤怒の河を渡れ!! このページのTOPへ HOME


私は、19年間サラリーマンとして生活してきました。その私が、国会に臨んで改めて感じるのは、 日本という国は、よく国としての形を成しているな、ということです。

永い間、これだけいい加減で、自分勝手な政治を続けてきて、 それでもまだこの国があるということが、今の私にはとても不思議に思えます。 そしてサラリーマン出身である私としては、この国を本当に支えているのは、 毎朝8時30分には会社に出社し、夜遅くまで残業している真面目な国民の日々の営みがあってこそだと、 改めて実感しています。

憤怒の河を渡る時が来ました。私たちに残された時間はわずかです。 すでに数年前から、働ける世代の人口は減少し続けています。 でも、私は日本人が持っている可能性に強い確信を持っています。

新しい国創りを目指すことのできる最後の10年が、今、始まりました。

人生転換 2001年3月15日出版 大島敦著 全日法規出版

 


学生と語る このページのTOPへ HOME


 現在、大島事務所では大学生のインターンを受け入れています。事務所で働いた彼らの感想がよせられましたのでご紹介します。

 大島あつし事務所のインターン生活は私にとって本当に有意義でした。現実の政治に対して親近感を持ち、興味をもって学んでいけるようになりました。実のところ、私は政治学科に属していながら、国内のニュースよりもむしろ国際的なニュースにばかり目が言っていました。
 そして、こんな私を変えてくれたのが今回のインターンでした。議員インターンは、私に生の政治を垣間見せてくれました。私は代議士や事務所の方々があんなに体をはって活動をしているのを知らなかった。わたしは自分の選挙区の現状を把握するために、代議士が自らの足で地域を回られていることを知らなかった。私は代議士が自ら問題把握するために積極的に民間の会社に赴き、ご自身の未知の分野について説明を受けるのを知らなかった。「ああそうか、本当に私は何も知らなかったんだ。」そのことを大島事務所ではしっかりと教えていただきました。
 けれども私の意識が変化したのは、ただ単に知識が増えたためだけではありませんでした。代議士も、事務所の方々も、本当に親切で、親しみやすい人達でした。私は生の政治現場の中に、暖かい人間関係を見出すことが出来たのです。大島事務所は活気に溢れ、私達インターン生にも常に何かを教えようという姿勢で接し色々な話をしてくださる人達ばかりでした。本当に有難うございました。

(Fさん 法学部2年生 2009年大手放送局に入社)


大島事務所では、大学生が春休みや夏休みに企業などで実習生として働けるというインターンシップに応じて、この8月と9月の2ヶ月間、大学生7名(男性4名・女性3名)を受け入れました。大島あつしも学生時代にアイセックという機関のインターンシップを利用してドイツの電力会社で働きました。その経験が非常に役に立ったので、ぜひ実社会を体験してもらいたいと、大学生に働く場を提供したのです。インターン終了後、第6区総支部長大島あつしは、大学生たちと意見交換を行いましたので、掲載します。


R君(教育学部4年生)なぜサラリーマンから政治家になろうと思ったのですか?

大島 大学卒業後、鉄鋼会社に就職して14年、転職して生命保険会社に5年いました。その間、しだいに「戦後の日本人は家族を犠牲にしてまで一生懸命に働いてきたのに、ヨーロッパの先進国のように豊かになっていない。今なお日本が貧しいのは政治がおかしいからだ」という憤りを持つようになりました。そんなある日、たまたま新聞で見つけたのが民主党の候補者公募の記事です。読んだら、政治家になって日本の政治を立て直したいという想いが一挙に込み上げてきました。2000字の論文を書いて応募締切日ギリギリに出したところ書類審査に受かったのです。後で聞いたところによると、564人の応募があって面接を受けたのは100人、さらにそのうち50人が候補者として残ったそうで、最終的には17人が公認候補となって衆議院総選挙に立候補しました。
 とはいえ、候補者に受かった後も総選挙に出るべきかどうか、かなり逡巡しました。祖父と父も選挙で大変な思いしたからです。県議選や市長選でさえもそうだから、総選挙に落選したらとんでもないことになってしまうと思っていました。それでも、周りの方々のお陰で公認をもらうことができたとき、天命を感じ、無私でやり抜こうと決意しました。幸いに私は、候補者公募で立候補し当選した3人のうちの1人になることができましたが、当選したのは、私を支えてくれた多くの人たちの善意の賜と実感しています。


K君(経済学部2年生)企業に勤めた経験で今、政治に一番活かせたのは何ですか。

大島
 すべてだと言えます。私は会社に入ったとき、本当に仕事の腕が悪かったのです。しかし、会社の中で育てられました。たとえば、計数処理能力というのがあります。今、国の予算書を見て、どこがポイントなのか、あるいはどこに間違いがあるのか、ということが分かるのは企業でさんざん鍛えられたからです。 鉄鋼会社に入って最初の3年間は京浜製鉄所の現場にいました。そこで、現場の作業長や工長をはじめ現場の人たちと一緒に働いたのですが、最初は、大学を出た若い社員が偉そうなことを言っても、現場の人は誰も聞いてはくれませんでした。しかし、1年間、ヘルメットを被って工場の中で一緒に一生懸命働くと、現場の人は「まあ、大島の言うことも聞いてやってもいいか」と思ってくれるようになりました。それは政治の世界でもまったく同じで、自分から率先して汗をかかないと人は付いてきません。 本社に転勤して計数処理の得意な課長の下に付いたら、計数処理はもちろん資料の見方も習いました。その課長から「大島君、この資料の目的は何だ」と言われて、そこで私は「資料には必ず目的がある」ということに、気付かされたのです。だから今、官僚が私のところに資料を持ってきたとき、もし官僚が資料でごまかそうとしたら、ごまかす目的の資料だということはすぐに分かります。 ドイツでの海外駐在のときには、上司の次長が部下の私を指導してくれました。国内にいると30代か20代後半の係長が部下を指導するのですが、海外だったから40代の次長が直接私を指導してくれたのです。その人はとても細かいところまで気が付く人でしたので、気配りの大切さを教わりました。
 生命保険会社では営業でいろいろなところに伺って、人との付き合い方を勉強させてもらいました。企業で教わったことを挙げればキリがないのですが、企業での経験は全部、政治家になっても活かされているし、政治家になっても仕事ができているのは企業で育てられたお陰だと思っています。


Tさん(経済学部3年生) 民間企業のサラリーマンから政治家を目指すというとき、もし私が奥さんの立場だったら、今の安定した生活がなくなるのだから反対すると思います。そういう問題はなかったのですか。
大島 結婚するときに妻に「貧乏になることがあるかもしれないが、それでもいいのか」と訊いて、「いい」という了解だけは取っておいたのです。男性でも女性でも何か事を起こすときには貧乏になる恐れがあります。それは政治でも実業の世界でも同じです。実際に妻はくよくよしない性格で、体力もあるので非常に助かっています。 政治家になると、やはり経済的に窮屈になり貯金もできません。私は政治資金を集めていないので、年収のほとんどは政治活動費に使ってしまいます。だから、政治家は経済的にけっして報われない仕事だと思います。世の中を動かすこともある分、責任はきわめて重いし、日々決断を迫られます。政治家の先輩から「政治家の一年間は10年分に値するだろう」と言われましたが、そのことは痛感しています。


F君(法学部2年生) 政治をやっていて充実感があったときはどんなときですか。

大島 一番充実感があったのは、自分がずっと解決を働きかけてきた「谷間問題」(国民健康保険に加入できない会社役員や自営業者に労災保険も健康保険も適用されないという問題)で、厚生労働省の課長がしっかりと動いてくれてこの7月1日に通達が出た瞬間です。 民主党は国会に法案をたくさん提出するのですが、野党だからなかなか国会で通りません。 しかし、この谷間問題の通達が出た瞬間には「世の中を変えた」という充実感が込み上げてきました。この通達で影響を受けるのは全国に75万社もあるです。そのように多くの企業のお役に立つことができたのはまさに政治家としての醍醐味だと思いました。KSD(ケーエスデー中小企業経営者福祉事業団)の汚職問題やSSK(佐世保重工業)の補助金不正受給問題で疑惑を追及して、国会議員と役人に責任をとってもらったこともありましたが、そのような処罰を加えても後ろ向きな気がして充実感はありませんでした。
 やはりこの谷間問題のように自分のテーマを追いかけて国会での質問や役所への働きかけをしたことによって国を動かし、その結果、世の中を変えたという場合のほうがはるかに充実感がありますね。


Oさん(経済学部3年生) 私たちのような若者へのアドバイスを。

大島 友人は大切にしたほうがいい。自分が今日あるのも友人たちのお陰です。年上の同期の議員からこう言われました。「1年間に1人でもいいから親友をつくっていくこと、20年経てば20人の親友を持てる」。ただし、学生時代の友人関係は特別だと思います。学生時代から付き合っている友人とは損得関係がありません。政治家の友人だと、政治家としての損得が入ってきますから。いずれにせよ、一生付き合える友だちを持つと人生は本当に豊かになります。当たり前のようですが、今それを強く実感しています。


Yさん(国際総合学科3年生) 昔の人は自分の利益以外に日本の利益も考えていたと思うのですが、今の若者の多くはパブリックとか国家に対する責任について何も考えていません。こうした点についてどう思われますか。

大島 阪神淡路大震災ではボランティアに出掛けた人が多かったですね。そういう姿を見ると、まだまだ若者も捨てたものではないと思います。今の若者が豊かに育っているからこそ、大変な目に遭った人に救いの手を差し伸べる余裕があるのかもしれません
 ただ、全体的に見れば、日本人は公的な意識が希薄です。戦前の日本は太平洋戦争に負けるまで小さいながらも独立を守ることについて自分で判断していました。けれども、その結果、とんでもないことになってしまったので、戦後の日本では「方針がないことが国の方針だ」ということになったのだと思います。外交でも米国に依存してしまいました。したがって、今、日本に駐留している4万5000人の米兵がいなくなると、日本は自分の国を自分で守るための国際的な枠組みというものを真剣に考え始めるのではないでしょうか。そして、自分の国を自分で守るということになれば、いろいろなシステムも変わってくるでしょう。


M君(経済学部2年生) 今後、どのような政治家になりたいですか。

大島 政治家というのはつねに走りつづけないといけない職業だと思います。目標を決めたらそれに向けて人を巻き込みながら走り続ける。政治家への期待もそこから出てくるし、逆に言えば、走ることをやめたら期待がなくなって、人も付いてきません。だからまず「つねに走り続ける政治家」ですね。しかし一方では、いつもごく普通の感じの自然体でいたいとも思います。そういう政治家も1人くらいいてもいいのではないでしょうか。


国会議員のリレーコラム  このページのTOPへ HOME


若手サラリーマン向きの雑誌に掲載された記事からの転載です。

国会議員のリレーコラム 第2回

■サラリーマンから国会議員に。思い切った転職だと思いますが、どうして決心なさったんですか?
「サラリーマンが恵まれていないからです。こんな世の中はおかしいと思った。かつては土日も返上してこれだけ一生懸命働いて、なぜ老後の心配をしなければならないのか。政治がしっかりしていれば国民が報われると思ったのです。」

■そして国会議員になった。なってみて、自分は向いているな、と思いますか?
「痛みがわかるというんでしょうか。サラリーマンを19年もやっていたわけですから、いいときも悪いときも知っている。努力しても報われないサラリーマンは世の中にたくさんいますからね。そういうことは重々承知しています。ですから決して独善的にはならない。このことは国会議員にとって大事なことだと思います。そして、営業の仕事もやっていたので論理的な話の組み立てができるというか、その人の立場に立って物事を話す癖がついています。国会質問も政策論となるとその話法で話を進めて、大臣が『そのとおり』と言ってくれたりもします。」

■最後に、今後はどのようなことをやっていきたいとお考えですか?
「1995年に最初の会社を辞めたとき、日本の社会保障制度は将来的に破綻するだろうという気づきがありました。それで社会保障を通じて仕事をしたいと思い生命保険業界を選びました。その後、国会議員になり、延長上で厚生労働委員会でも同じことをやっているわけです。そういうストーリは崩したくないですね。誰もが一生いきていてよかったと思える環境を作るのが目標です。」


活動写真 このページのTOPへ HOME


有権者への公約を議員立法として具体化するために、これからの働き方の基本政策となる求職者支援法案を作成し、本会議場で法案の趣旨を説明する 予算委員会、郵政民営化特別委員会、行政改革特別委員会、テロ対策特別委員会などNHKによりテレビ中継された国会の質疑で、首相や大臣と論戦を交わす 各国の政治家との信頼関係が平和を構築する。インドネシアを訪れ、ユドヨノ大統領と会談し、両国の友好関係の重要性につちえ確認する

太陽光発電の最先端技術について説明を受ける。世界で我が国が新時代の先頭を走るために、産業構造をいち早く新しい環境に適合させる政策を進める 台風の翌朝、荒川付近の被害状況を現地調査。早めに河川事務所にポンプ車出動を要請した。今後も台風、ゲリラ豪雨には迅速に対応していく 地元メーカーを訪れ技術開発について意見交換する。ものづくりは国の競争力の根幹であり、品質のためには努力を惜しまない中小企業がそれを支えている

地元の福祉祭りをを訪れた際の盲導犬とのワンショット。障がい者が職場に慣れるためには、訓練されたジョブコーチの育成が急務である 国会終了後は毎回必ず国政報告会を開催し説明責任を果たす。参加された皆さんの活発で有益なご意見が政策立案の際に大いに参考となる テレビ朝日スーパーモーニングに民主党次の内閣 内閣府担当大臣として平沼赳夫議員、猪瀬直樹氏とともに出演する

農家の皆さんと自給率向上について意見交換を行う。事故米の転用や食品偽装などを防ぎ、食の安全を守るためにも政治の行政監視を徹底する ささら(獅子舞)を見学し地元固有の伝統文化の維持・振興を誓う 子供たちと一緒に田植えをして汗を流す
世界政治の巨星、マハティール、リー・クワン・ユー、ワイツゼッカーと会談 アスベスト対策の党内議論をリードして法案をつくり国会に提出 タイのスラム街の子供たちを支援しているボランティアと意見交換

ものづくりは日本の礎、地元メーカーの工場を見学 地元の商店街が月1回テントで出店する「あきんど塾」を見学 障害者自立支援法の審議に先立ち小規模作業所を視察

地域のNPO法人育成のために地元のスポーツ関係NPOを視察 民主党中小企業局の筆頭次長として全国行脚の講演を行う 寒風が吹く大雪の中で街頭に立って自らの主張を熱く語る

国会見学をする有権者の方々に国会の機能について説明 大学でのシンポジウムで田原総一朗氏と日本の課題について討論する

大島あつし夫人インタビュー このページのTOPへ HOME


◆大島あつしと結婚するまで
 昭和39年、東京杉並区で生まれました。3人姉妹の長女です。東京の商業高校に入り簿記1級、算盤2級の資格を取り、先生の勧めでNKK(日本銅管)に就職しました。
 大島とはNKKで知り合いました。そして、結局、大島が選挙に出るというので私も会社を辞めたわけですが、もともとは定年までNKKにいようと思っていたのです。大らかな会社で居心地がとてもよくて楽しいOL時代でした。

◆政治家の妻のイメージと実像
 大島の初当選から3年半、平日のスケジュールはだいたい決まっています。朝4時頃に起きて入浴し朝食をとった後、家を出て、大島と一緒に午前6時半から8時まで1時間半、駅でビラを配ります。その後、私は事務所行って、日中は外回りに出ます。夕方、事務所に帰ってきて事務処理をし、自宅に帰るのは午後10時くらいで、寝るのは午前1時くらいです。最初はきつかったですが、今は慣れました。ビラを配らない土日だと多少ゆっくりできます。やはり会社時代のほうが自由でした。自分の給料で好きなものも買えたし、旅行にもよく出かけました。大島が当選してから旅行には一度も行ったことがないし、自分だけの自由な時間もほとんどありません。仕事は大変ですが、政治家の事務所には、会社時代には出会えなかったような個性的な方たちがたくさん来られます。そういう人たちと話していると、今までの自分の常識は実は常識でなかったのだと気付かされることも少なくありません。